能登製塩について
平成13年4月18日に氷見 彰氏が立ち上げた企業になります。
石川県珠洲市で塩づくりを始めました。
なぜ珠洲で塩づくり?
どうして珠洲だったのか、この地域は代表的な伝統技術として、揚げ浜式製塩が行われておりました。昔から珠洲市を中心とした外浦の海岸線では、農耕地が乏しく、農民により塩づくりが生業として続けられてきておりました。この伝統的な塩づくりの方法は、国内では珠洲市のみに継承されております。産業としての製塩は、明治38(1905)年の塩専売制の実施、製塩の近代化などにより、一時途絶えたものの、平成9(1997)年、専売制が廃止されたことで、地域の特産品づくりとして、揚げ浜式の塩づくりを復活する動きが盛んになってきて現在に至っております。
しかし、氷見氏は伝統の塩づくりではなく、独特な塩作りを模索します。
海水は非常に綺麗な海であり良いのですが、海水塩を結晶化する方式に悩みました。
非直火式低温製法
考えて出した答えは揚げ浜式で行われている高温で海水を煮込むのではなく、天日干しで作られる塩に近い形をこの地で実現できないかを検討します。
能登地方は比較的晴れの日が少ない地域であり石川県自体は日本でも降水が多い地域です。冬は雪も降りますし天日干しには不向きな場所であったのです。
そこで天日に近い形で低温でじっくりと塩を結晶化することを電気で実現してみようと考えます。
検討を重ね出来たのがステンレス槽に海水を組み入れステンレス槽の周りに電熱を備え、風を吹き付けて塩の結晶化を図るものでした。それは湯煎で塩をじっくりと作るようなものでした。

工場でもくもくと塩を作る工場長
当初はなかなか塩ができなかったできず。試行錯誤の繰り返しが続き塩が出来るまでには数年かかったといいます。
前例がない作り方で、誰もわからないという状況だしたので工夫を繰り返すしかなかったと工場長は語ります。

ステンレス槽に貯めた海水です。低温でじっくりと海水塩を作り出しています。

塩粒が粗い塩です

添加物(調味料、保存料など)一切使用せず、自然のものだけから作り出した塩です。
創業時から数年後には創業者の氷見氏の長女加藤典子が経営を引き継いできました。
塩の販売に尽力し20数年経過してきておりました。
能登半島地震
2024年1月1日に発生しました能登半島地震の影響で、海水を汲み上げていた海岸が105m隆起、工場も被災を受けました。水道、電気が止まり工場長のご自宅も被災。金沢、白山で避難生活を過ごし塩の生産が止まったままでした。
その間、多くのお客様よりご支援を賜り1年半、塩が作れないまま経営を維持して参りました。
そんな中、社長の加藤典子が地震による心労、持病の悪化により2024年11月末急逝。
事業を継続するか迷う日々が続きました。
故加藤典子のパートナー加藤 聡が社長に就任し事業継続を決意。
お取引状況、経営状態も前社長の急逝のためにわからないことだらけの中、前社長の友人が広島から応援に来て会社に就職。以前よりいる社員とともに事業運営に奮闘しております。
2025年7月1日より、ようやく塩の生産を再開し塩の販売も始めました。
たくさんのお客様から「オタクの塩待っているよ」「あなたのところの塩じゃないと駄目だ!」などなど多くのお声をいただたことが励みとなり再開できました。
最後に、塩をお買い上げいただきましたお声をご紹介させていただきます。